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元祖喫茶店で食すナポリタンの味。名古屋の文化が教えてくれた大切な事。

2022年、今年こそは!と、躍起になっている人は多いと思う。この2年間、日本だけでなく世界中がパンデミックという予測不能な出来事に翻弄されてきた。やりたい事が思うようにできなかった人も多いだろうし、だからこそ今年にかける思いが強い人も多いはず。私自身どんな1年になるのか、今からワクワクしている。ある日、仕事が落ち着きふらっと夫婦で入った近所の喫茶店では、ふと考えさせられる事が多かった。おそらくもう何十年続く、地元の人たちに愛される喫茶店だと思う。外の看板は塗装がはがれ何とか字が読める程度だし、お店の中では禁煙と言う言葉が似合わないほどタバコの臭いが染みついている。今やお洒落なカフェが立ち並び、中にはリバイバルのように昔風を装ったカフェが出来るほどだが、まさにその実物がそこにあった。お店の雰囲気も良かったが、お店の方も素敵な方が多く、特に仲の良さそうなご夫婦の姿が微笑ましかった。決まって頼むのはナポリタン。ポイントは鉄板と目玉焼き。まさに名古屋のB級グルメを想像させる雰囲気が、また食欲をそそる。亭主を見ているせいか想像も膨らみ、長年この味を守ってきたのかと思うと、感慨深いものがある。今どきと言っていいのか、商品にはストーリーが必要とSNS社会ではよく耳にするが、この歴史は、まさに物語があると思う。




そんな喫茶店も、コロナ禍はお店を閉めていた。新型のウイルスが私たちから奪っていったものは、こんな些細な憩いの場すらもなくそうしていたのかと思うと、心が穏やかじゃない。今ではお店も再開され、またいつものように外の看板に取り付けられたランプが回っていると、どこか嬉しくなる。コロナ禍でダメージを受けた飲食店は数えきれないほどと聞くが、やはり慣れ親しんだお店がなくなるのは、本当に寂しい。もちろんエモーショナルな部分だけが全てではないが、特に歴史が長いほど、感情移入が強くなる。みんなにもあるだろう地元の好きなご飯屋さんの1つ。手と手を取り合ってとは言わないが、もう少しで夜が開ける日が近いと思いたい。

諸説ある中で名古屋が発祥といわれる喫茶店文化。お年寄りから子どもまで、いろんな人が集っては、それぞれの時間を楽しむ場所とされてきた。今ではオンラインで繋がる若者が多い中で、その文化は形を変えているのだろうか。大手コーヒーチェーンに入れば、友達同士で来ているにも関わらず、みんなスマートフォンを片手に画面を見ながら話をしている。それではリアルの意味が何なのか疑問だ。しかし、その喫茶店ではそんな若者はいない。来る人は、新聞や雑誌を入口でチョイスしては、席でおいしそうに珈琲を飲みながら新聞をチェックしている。もう家でもいいように思える行動も、そのお店に来る価値があるのを行ったことがある人ならわかる。お昼には近所で働く人達があししげく通っているが、ひとりで来てもスマホを見ながら…という人はほとんど見かけない。なかなか無い光景だと思う。間違えてほしくないのは、スマホを触りながら話す人たちがダメだとは思わない。それもひとつのコミュニケーションだと思う。コロナ禍で進んだテレワークだが、今もなお継続している企業はどれだけあるだろうか。オンライン化に切り替えたことで売り上げが向上した企業もあれば、その逆もしかり。どんなことにも一長一短があり、大事なのは自分が今見ている現実は、どちらがいいのかを判断できる力量だと思う。お気に入りの喫茶店には、きっとオンライン化という言葉は似合わない。ITとは無縁の世界だろう。はたから見れば幸せそうに見える夫婦の姿も、苦楽を乗り越えたからこそかもしれない。その背景を無視して語っているのは百も承知だが、あとどれだけあのお店があるか分からないが、いつまでも今のままでいてほしいと願うばかりだ。