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人生の余白

ある朝に、すごく美味しい素敵な珈琲を1杯いただいた。ここ最近は、仕事のことばかりで嘘はつきたくないと思いながら格好をつけたいのが本音だが、実際は家庭をかなりないがしろにしている。今どきは女性も社会進出が当然であり、全力で子育てをカバーしてくれている妻には、心から感謝していると同時に申し訳ない気持ちも強い。だからこそ、今だけ、今だけと思いながら、早く安定して軌道に乗せられるように急いでいるが現実はそう甘くないと痛感している。


この1杯の珈琲を飲んだその日の前日も、当然のように遅くまで仕事をしては、頭の中が散らかった状態で家に帰り、ご飯を食べ風呂も入ることなくそのままソファーで寝てしまった。朝になればスマホのアラームに起こされ、熱いシャワーを浴びてスーツに着替えていた。まだ1歳の息子の顔を見ながら身支度をし、玄関では妻が送り出してくれた。ふと、毎朝呑んでいる栄養ドリンクを飲むのを忘れたことに気づく。コンビニによって珈琲を買うのが習慣だったが、なぜか栄養ドリンクを買った。数時間後、仕事をして一息つくときに、珈琲がどうしても飲みたくなり、コンビニに向かったが、途中でなぜかスタバに向かった。到着してごく普通のドリップコーヒーを注文しては、受け取ったのだが、この時に店員さんが、お仕事ですか?頑張ってくださいと、一声かけてくれた。そしてマグカップには、スマイルのマークが。その時の1杯の珈琲がすごくおいしく感じたのは、言うまでもない。



人間はわがままな生き物だと、つくづく思う。自分のペースを乱されることも多いし、嫌な人もたくさんいる。意見や価値観が合う人ばかりではない。起業がブームだが、当然サラリーマンの方々の方が圧倒的に多いわけだから、会社の方針に従っては、嫌な想いをお酒で流し込む人を幾度となく居酒屋で目にしてきた。それを見ながら、世界が平和だったらなといつも思う。ただしそんなことはない。人生はどこかで折り合いをつけていかなければ、大袈裟に言えば戦争になってしまう。頭のいい人からすれば感情的になる人は偏差値が低いんだよと罵倒されそうだが、そういうことじゃない。押し殺して生きている人が正解ではなく、ノンストレスでいられる関係性こそがピースであるべきだと思っている。そのためには、何事にも余裕が大事だと思っている。人生で言えば余白というやつだ。それほど映画を見るタイプではないが、人生を映画で例えると、上映開始から今何分程度が経過したのだろうか。クライマックスをどこに設定するのか、確かに映画好きが語りたくなるもの頷ける。スタバの店員さんがかけてくれた一言は、私にその余裕を取り戻させてくれた。本当にありがたい話である。余裕があるときにゆっくり飲む珈琲は、どこか格別に美味しく感じる。臭い話だが、何を食べるかじゃない、誰と食べるかが重要だと説く人がいたと記憶しているが、本当にその通りだなと思う。美味しいものを食べると人は自然と笑顔になる。料理人とはつくづくクリエイティブだなと思うし、この珈琲も笑顔というよりも、ホッとする一息をくれたといえば、かなりのクリエイティブだと言える。




コロナ禍で耳にするソーシャルディスタンス。zoom呑みとメディアが煽る一方で、今も同じようにやっている人は果たしてどれくらいいるのだろうか。むしろ、オンラインで繋がってお酒を楽しむ人は、それまでも一定数いたと思う。新しいように言えば聞こえがいいのか、改めて人は何か定義が欲しいんだなと思わされることが多い。別に誰かに迷惑をかけているわけじゃなければ、好きなように好きな形でお酒を楽しめばいいのにと思ってしまう。話を戻すと、ソーシャルディスタンスは、今やどうなったんだろうと思う。マスク事件もそうだが、相変わらずホリエモンと餃子屋はいつまでバトルをしているのだろうか…。とホトホトあきれ顔になってしまう。もうどっちでもいいのが本音だが、当事者ともなればそうもいかないのかもしれない。理論武装して戦っても、そこにある心情には必ずとも比例するわけじゃないと思えば、温度感を感じ取れないテキストベースのメッセージに何がぬくもりを届けてくれるのだろうか。デザインを日々考えている自分としては、この動かない文字に、どう思いを乗せるべきか、いつも考えているが結局見つかったためしがない。それも当然の話で、受け取った相手がどう感じるかは、制作側にはコントロールできないからだ。毎日のように流れるSNSのタイムライン上には、驚くほどの有象無象のコメントが流れている。それをすべてに目を通し切るのは難しいが、こうして大事な形に残すことで、いつの日から思わぬ人に届く可能性もあると信じている。感染症対策として耳にしたソーシャルディスタンスは、いつのまにか、人との距離感を想像以上に遠ざけている気がしているが、マスク同様、いつの日か、以前のように戻ることはあるのだろうかと疑問に思う。物理的な距離以上に、心の距離は取り戻すのに時間がかかる。子どもが産まれ、考え方、ライフスタイルと大きく変化した今は、少しはまともな大人を演じているが、過去に山ほどの失敗を重ねているのはここだけの話である。心の距離と、人生の余白を考えきっかけをきれた1杯の珈琲に感謝している。ありがとう。